2011年09月14日

#20 心に残る僕のヒーロー

心に残る僕のヒーロー

ヒーローという言葉から皆さんはどんな人物を心に思い浮かべますか?
夏の甲子園の伝説 太田幸司の暑い夏。決勝で延長18回ゼロの死闘を演じたヒーロー。ブラウン管を通して見守った一人として彼をヒーローのリストから外すことはできません。

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当時小学校5年生だった僕は放課後日が暮れるまでボールを追いかけていた野球少年でありました。当時の東北の高校野球はレベルが著しく劣り、甲子園の優勝旗が白河を越えることは絶対ない、などと言われるほどの野球不毛地帯でした。
僕にとって甲子園の高校野球は最大の楽しみでしたが、本命の岩手県の代表校が敗れれば宮城県の、それもだめなら秋田県の、と歯がゆい思いをしつつもなんとか東北地方の高校球児の躍進を期待していたものでした。

そんな時代1969年(昭和44年)その夏、彗星のごとく現れた青森県代表三沢高校の快進撃は衝撃でした。とりわけピッチャーの太田幸司のかっこいいこと!マウンドでの整った横顔、力強い投球フォーム、うなる豪速球、三球三振をとってすぐにくるりと後ろを向く姿がそれはもうクールで、クールで、もうしびれまくりでした。いまでも鮮明に記憶に残っています。多分それまで高校野球なんて見向きもしなかったおばさん連中も試合のたびに狂喜乱舞したにちがいありません。野球のやの字も知らない僕の母親でさえも太田の横顔がかわいいと言っていました。後にやってくる甲子園アイドルブームの走りといっていいのでしょう。

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ところでどうして野球不毛地帯に降って湧いたように強いチームが出現したのか?
それは青森の三沢と言えば三沢基地、その当時、基地のアメリカ人の子供を含めたリトルリーグ野球が存在し、太田ら主力メンバーはそのリトルリーグ出身だったのです。なるほど、それなりの下地があったわけです。

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延長18回ゼロが並ぶというまさに死闘。最大のヤマ場は延長15回裏の三沢の攻撃。1アウト満塁で、なんとストライク0でボール3になったとき、僕の心臓は張り裂けんばかりに高鳴った、あと一球のボールでサヨナラ勝ちだー。日本中のひとが息をのんでテレビに釘付けだったに違いありません。しかし相手の松山商業の井上投手もすごかった、ここから必死に2球ストライクを投げ、3球目のゴロでホームタッチアウト、なんとか最大のピンチを切り抜けたのだ。

後日、何かの記事で読んだのだが、このプレーの後でダックアウト前に戻ってきた松山商業のナインが円陣を組みながら号泣したという。一生に一度あるかないかの異常な緊張状態からか、絶体絶命のピンチを切り抜けたあとに去来した恐怖感からか、まだどこか幼さの残る17歳18歳の球児たちの心情に思いを馳せてみるに、無理もなかろうと、その記事を読んだ僕も目頭が熱くなるのを禁じ得ませんでした。松山商業も あっぱれ! 

いま一歩の運がなくこの試合に勝てなかった豪腕の太田幸司投手、彼がこの1試合で投じた球数はなんと262球でした。彼の活躍が甲子園を目指す東北の球児たちをどれほど勇気づけたことか計り知れません。


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posted by S.Shimizu at 23:39| 院長ブログ